法隆寺金堂壁画模写展
1968年05月1967年1月から安田靫彦、前田青邨、橋本明治らによって着手された法隆寺金堂壁画12面の再現模写が完成し、5月21日から6月30日まで東京国立博物館で展観され、そのあと、名古屋、京都、福岡などでも公開された。この展示には、法隆寺からとくに金堂四天王像の広目天はじめ、諸仏が特別陳列され、壁画は法隆寺で開眼法要を行ったのち、金堂の壁画に永久に取付けられた。
1967年1月から安田靫彦、前田青邨、橋本明治らによって着手された法隆寺金堂壁画12面の再現模写が完成し、5月21日から6月30日まで東京国立博物館で展観され、そのあと、名古屋、京都、福岡などでも公開された。この展示には、法隆寺からとくに金堂四天王像の広目天はじめ、諸仏が特別陳列され、壁画は法隆寺で開眼法要を行ったのち、金堂の壁画に永久に取付けられた。
京都画壇の代表的日本画家の一人土田麦僊の回顧展については、京都国立近代美術館が同館開設以来の計画であった。以来調査を重ね漸く展観のはこびとなったものである。麦僊の代表作は、ごく少数の、所在不明の作品を除いては殆ど全部集められた、優れた回顧展であった。
シカゴ・トリビューン、ワシントン・ポスト共催の第32回“春の児童図書祭”で、童画家中谷千代子氏の「スガンさんのやぎ」(ドーデー原作、岸田衿子訳、偕成社。英語版ニューヨーク、ワールド・パブリッシング社出版)がオナーブックス賞になり、5月3日受賞式が行なわれた。
奈良国立博物館では27日より5月26日まで古瓦の特別展を開催した。鐙瓦と宇瓦が中心であるが?先瓦、鬼瓦、鴟尾、鬼面文の隅木瓦など約500点で、仏教の伝来とその発展期の貴重な遺品を系統的に整理陳列されたのはこれが最初といってもよい展覧会であった。
1日に天台座主導師のもとに修復落慶の記念法要が中尊寺で行なわれた。なお残務整理が続けて行なわれる。この修理事業は昭和37年10月に着手されたもので、この間、解体に先だって漆塗りの全部材のX線撮影を行ない、内陣部材は東京国立文化財研究所に移して漆芸や材料の精細な分析調査を行なって、種々の科学的防蝕保強材を用いて修復が行なわれた。
42年度(24回)恩賜賞と芸術院賞の受賞者が16日決定した。 恩賜賞 藤島亥治郎 古寺の再現設計に対する多年の功績に対し 芸術院賞 伊東万耀(日)「踊る」(第10回日展出品作)に対し 佐竹徳(洋)「オリーヴと海」〃 服部正一郎(洋)「水郷」(第52回二科展出品作)に対し 北村治禧(彫)「光る波」(第10回日展出品作)に対し 北出塔次郎(工)「胡砂旅」〃 安原喜明(工)「炻器花挿」〃 村上三島(書)「杜甫贈高式顔詩」〃
30年もの間栃木県那須郡烏山町の農家がもっていた3つの石片が東北大芹沢長介助教授の鑑定で3万年以前の旧石器時代の握り槌と鑑定され、今後の研究が期待される興味ある問題を提供した。
東京・京都国立博物館並びに日本経済新聞社の主催でエルミタージュ美術館、プーシキン美術館、ドレスデン国立美術館など7美術館の協力を得て油絵11点、デッサン15点、エッチング140点が出品され日本では初めての大展覧会であった。(東京4月2日―5月16日、京都5月25日―7月14日)
国立西洋美術館では、3月20日からボナール生誕百年を記念し、仏、英、米、スイスなどのコレクションから油絵120点、デッサン20点を集め我国では最も充実した展観を行なった。
ニューディリイ市国立芸術アカデミーで8日から開催中の第1回インド・トリエンナーレ国際美術展で、彫刻家の木村賢太郎がグラン・プリを受けた。同展には20数カ国が参加、日本からは画家、彫刻家8人が出品、菅井汲もグラン・プリの候補にのぼった。
昨年を通じて文学評論、映画、演劇などの分野で新しい境地を開いた者に贈られる芸術選奨42年度第18回の受賞者が、文部省の選考委員会で2日決定した。授賞式は4月12日。 美術関係受賞者 大臣賞 芦原義信 モントリオール万博の日本館の建築に対し 〃 土方定一 「ドイツルネッサンスの画家たち」の著述に対し 新人賞 高松次郎 「遠近法」の連作にみる独創的な成果に対し
文化財保護委員会は3日、昨11月より続けてきた第44次調査によってこれまで1キロメートル四方と考えられていた宮城跡が東側に250メートルほど張り出しており、ここには東宮御所があったという調査結果を発表した。これは国道24号バイパス予定地を越えた地域であるために、再び路線変更問題がぶり返されることになった。
明治100年記念事業の一つとして企画された特別展で、東京では2月10日より3月24日迄東京国立博物館に於て開かれた。同館で昨年開かれた江戸美術展と密接な結びつきをもち、明治期の絵画、彫刻、工芸、書の各部分にわたる代表作の410点を綜合的に陳列した。 また京都市立美術館でも記念事業として明治期の日本画、洋画約150点を展示した。
昭和42年度第38回朝日文化賞は「仏像の起源にいたる仏教美術史の研究」により高田修(東京国立文化財研究所美術部長)が受賞した。
昭和42年度文部省買上作品は3日の選考委員会で次の8点と決定した。 「女優」橋本明治 「北辺」小野具定 「水辺暁」小林巣居人 「オリーヴと海」佐竹徳 「連帯」坂本善三 「噴水とマヌカン」織田広喜 「緑と赤」高井貞二 「風神」大内青圃
東京都台東区谷中の故朝倉文夫のアトリエをそのまま保存し、財団法人組織で朝倉文夫遺作陳列館がつくられ、12月2日から開館した。公開は毎週、土・日・月の3日間、理事長高橋誠一郎、常任理事坂崎坦。
第9回毎日芸術賞(昭和42年度)は、文学、美術、舞踊、音楽、写真の五部門に贈られ、美術部門では「右卿書作展」により書家手島右卿が受賞した(賞金各20万円)。なお、大賞は該当者なしと決定した。
日ソ文化交流の一つとして先に日本から「近代日本画名作展」を企画、作品を送ったのに対するもので、ソ連は、1917年の革命後から現代に至るまでの50年間のソ連近代美術の歩みを展望する作品が送られ、展示することになったもの。50年の歩みを概観出来る展観としては初めてで、きわめて有意義な催しとなった。
国立西洋美術館、京都国立近代美術館では、フランス文化省、同国立美術館総局、パリ国立近代美術館の協力を得て、我国では初めての総合的なデュフィ回顧展を開いた。出品は、フランス各地の美術館31カ所の他、個人コレクター等からで、油彩80点の他水彩、グワッシュ、版画、タピスリイなど総計200点に及んだ。東京は11月3日から開催したが京都は昭和43年1月4日から開かれた。